SEX PISTOLS/セックスピストルズ

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(C)DENNIS MORRIS 2004/Quercia inc.

SEX PISTOLS(セックスピストルズ)

1975年頃、キングス・ロードにあったブティック「セックス」の常連客、ジョニー・ロットン(Vo)、グレン・マトロック(B)、スティーブ・ジョーンズ(G)、ポール・クック(Dr)が店のオーナーで元ニューヨーク・ドールズのマネージャーだったマルコム・マクラーレンの口利きでバンドを結成。 76年、ポリドールやRAKといったレーベルとの争奪戦の末、EMIがピストルズと契約。デビューシングル「アナーキー・イン・ザ・UK」を発表。この時点での知名度は先進的な若者に限定されていたが、同曲はそのあまりにも過激な内容のため、放送禁止となる。家族向け娯楽番組「Today」に生出演した際も、放送禁止用語を連発。これを見た視聴者から抗議が殺到。翌日あらゆる新聞のトップで事件として紹介される。その影響もあってか、「アナーキー・イン・ザ・UK」が27位にチャート・インされた。

SEX PISTOLS(セックスピストルズ)「アナーキー・イン・ザ・UK」のプレスが中止され、EMIは違約金を払い契約を解消。その後、グレン・マトロックが脱退しシド・ヴィシャスが正式加入する事になる。
さらに、A&Mとの契約をバッキンガム宮殿の前で行ったが、わずか1週間で電撃解雇。シド・ヴィシャスの悪態、所属事務所のアーティストの反対などがその理由らしい。その後、ヴァージンと契約金1万5千ポンドという過去最低額で契約し、問題曲「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」をリリース。エリザベス女王を低能とこき下ろし、女王の顔に安全ピンを刺したジャケット写真は大問題となり、イギリスの放送局が軒並み放送禁止処分を下した。同曲は初登場11位にチャート・イン。
チャート上昇を不快に思ったイギリス音楽業界の上層部が必死に阻止し、チャート操作の結果、全英2位に終わる。

女王座位25周年式典で、テムズ川に「クィーン・エリザベス号」という船を浮かべギグを行う。多くの警察船にまわりを囲まれ、演奏の中止を命ぜられる。この時、観客と警察側で騒動が起き、マルコムを含む10人が逮捕。
「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」の影響で、ジョニー・ロットン、ポール・クックらが愛国主義者から襲撃を受け負傷するなどの事件もありつつも、サードシングル「プリティ・ヴェイカント」をリリース。全英7位まで上昇。さらに4枚目のシングル「ホリデイズ・イン・ザ・サン」をリリースした。

1977年10月28日、デビューアルバム「Never Mind The Bollocks (勝手にしやがれ)」リリース。予約だけで12万枚を売り上げ、全英チャート初登場ナンバー・ワンを記録すると共にゴールドディスクを獲得。名実ともにパンクの象徴的な存在へ。

1978年、アメリカツアーを実施。シド・ヴィシャスはベースで客を殴るなど各地で大暴れ。ツアーの最中、ジョニーは、自分達がマルコムの操り人形だと思うようになる。14日のサンフランシスコの公演で「だまされた気分はどうだい」と言い残し、ジョニーがピストルズを脱退。実質ピストルズ解散。

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1978年 10月11日
シドの恋人、ナンシー・スパンゲンが刺殺体で発見される。その2日後シドは殺人容疑で逮捕。ヴァージンがマルコムを通じ5万ドルの保釈金を支払い釈放。

1979年2月2日
保釈記念パーティーで、シドがヘロイン過剰摂取で自殺。享年21歳。

1996年、ロットン、マトロック、ジョーンズ、クックがピストルズを再結成。ワールドルアーを行う。その後、バンドは再び活動休止となるが、2002年、03年、08年と再結成を果たし各地でライブを繰り広げている。


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DENNIS MORRIS/デニス・モリス
DENNIS MORRIS/デニス・モリスデニス・モリスは、若くして写真家としての道を歩み始めた。彼の撮った写真の一枚が、デイリーミラー誌の表紙を飾ったのは、彼がたった11歳の事である。8歳のときから、カメラマニアだったデニスは、サッカーに関する写真を撮る事を好み、イーストエンドのあたりでは、「マッド・デニス」として知られていた。ある日曜日、PLOによる活気あふれたデモに思いがけず遭遇したあと、デニスは、その写真をフォトエージェンシーに持っていき、すぐさまデイリーミラー紙の表紙として掲載された。それまで、洗礼式や誕生パーティで写真を撮ることで、フィルムやカメラに必要なお金を工面していたデニスは、そこで、彼の趣味や情熱を燃やしているもの、つまり、撮影することが、生活費を稼げる事になると理解したのであった。

デニスの写真家としてのキャリアが本格的にスタートしたのはボブ・マーリーとの出会いがきっかけである。スピーク・イージー・クラブの片隅でボブを待っていたデニスは彼と運命的な出会いを果たす。そこで14歳の少年デニスの熱い思いに心を動かされたボブが「ツアーに同行して写真を撮ってみないか」とオファーを出すこととなる。デニスが撮影したボブとウェイラーズの写真はその後、世界中に知れ渡り、『タイム・アウト』誌や『メロディ・メイカー』紙の表紙を飾るまでになった。これは彼がまだ17歳になる前のことである。

若きジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)の目を引いたのは、デニスが撮ったボブ・マーリーの写真だった。熱烈なレゲエファンであるジョンは、デニスの仕事を称賛し、ヴァージンレコードと契約したばかりのセックス・ピストルズの写真を撮って欲しいと依頼してきた。まだ10代であったデニスは、同年代のメンバーともすぐに打ち解け、彼らもデニスを信頼し、彼らの奇妙で支離滅裂な私生活にも自由にアクセスすることを許した。デニスはバンドに同行し、その写真は数百枚にも及んだ。ピストルズのメンバーをレンズの前に気楽に立たせる事のできた写真家、デニスの作品は、そのバンドの公共のイメージだけではなく、国内でもっとも刺激的で目を見張る音楽写真家としてのデニスの地位をも確立させた。

ピストルズ解散後、デニスは、ジョン・ライドンとヴァージンレコードのリチャード・ブランソンに伴ってジャマイカでの休暇を一緒に過ごした。その頃には、ジョンとは大の親友ともなっており、二人は、ブランソンのヴァージンレコードのために若きレゲエ・アーティストを探す毎日を送っていた。デニスは、このA&Rという仕事に夢中になり、アイランドレコードでアートディレクターとしての仕事を引き受け、The SlitsとLKJ をレーベルと契約させるに至った。同時に、ジョン・ライドンとも仕事をしつつ、デニスは、独創性に富んだP.i.L.のスリーブ、ロゴ、メタルボックスを作成した。また、彼の音楽に対する情熱はとどまる事を知らず、自ら先駆的ブラックパンクバンド、ベースメント・ファイブを結成した。 

それからの翌数年、デニスは音楽に満ちた毎日を過ごし、1984年に、ポール・ウェラーの協力の下、レスポンドレーベルより、ドラム アンド ベース アウトフィット アーバン シェイクダウンの最初のリリースを行い、後にヴァージンレコードと契約し、4枚のシングルをリリースした。

デニスは、ロンドンに住み、現在でも、オアシス、プロディジー、ブッシュなどのツアーに同行し、写真を撮り続けている。彼のこれまでの作品は、書籍として各国で出版され、また、「ローリングストーン」、「タイム」、「ピープル」などの著名な雑誌にも度々登場している。



SEX PISTOLS(セックスピストルズ)オフィシャルグッズ


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AEROSMITH/エアロスミス

Aerosmith/エアロスミス

アメリカ、ボストン出身のロックバンド。 70年代〜現代までハードロックを世界中に浸透させてきた功績はあまりに大きい。RUN D.M.Cとのコラボや裏ジャケットに小錦を起用したりといった話題性もさる事ながらアルバムセールス的にも成功を収め続け、21世紀に入ってから映画『アルマゲドン』の主題歌I Don't Want To Miss A Thingのメガヒットにより、さらに広く一般層にまでその人気は普及した。2001年ロックの殿堂入りを果たし一度は活動休止をしたが、その後さらにパワーアップして現役であり続ける現在進行形の伝説。

2009年最新ツアーTシャツが限定入荷しました。


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WOODSTOCK/ウッドストック・フェスティバル

WOODSTOCK FESTIVAL/ウッドストック・フェスティバル

1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡べセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。「愛と平和の祭典」というキャッチ・フレーズのもと、ジミ・ヘンドリクスやグレイフル・デッド、サンタナ、ザ・フーなどトップ・アーティストが出演。主催者側は、1万人から2万人程度の入場者を見込んでいたが、実際は40万人以上が参加し、ほとんどの人が入場料金を払わなかったため、事実上無料イベントの様相を呈した。まさに'60年代の若者文化を象徴する伝説的イベントになった。会場では2名の死者と2件の出産があった。
以来、ウッドストックは1994,1999年にも開催されたが、暴力や略奪といった事件が相次いで勃発してしまい影を落とすこととなる。
しかし、ウッドストックが掲げる「愛と平和」の精神は初開催から40年経った今も多くの音楽ファンの絶対的基本精神として受け継がれている。


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源(MINAMOTO)

源(MINAMOTO)

レゲエミュージックを軸にしつつ、PUNKからHIPHOPまで様々な現場をマイペースに行き来する百戦錬磨のライブ巧者、MINAOとBOY-MARによるユニット。 ライブやプロダクションにおける役割、立ち居振舞いは正反対でありつつも、様々な場面で相補い合う理想のコンビネーション。



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